ヘイト物語

生きていて感じることをゆる~く書きます。そんなこと考えなくていいのに...なんて言わずに見てほしいです。こんなひねくれたこと考えてる人もいるんです。

ゴミ障

人間関係にすぐ悩みます。

 

メンタルが弱いだけとか、恋愛依存しちゃうとか、俗に言うメンヘラみたいなのだったらまだよかったななんて思ってしまいます。

 

みんな恋愛では悩むけど、意外と(?)友達多いし、いろんな人と上手く関われるし、SNSだって使いこなしてて、なんか羨ましいです。

 

表面上の付き合い。うわっつらな人間関係。

 

言葉で聞くと嫌ですが、嫌いじゃない自分がいます。

 

深く関わり合いたい人たちは、こんなの嫌だって思うんでしょうか。裏で何か言われてるのを過剰に嫌がりますよね。裏表無い性格、はっきり本音で言う性格を好んだりしますよね。

 

あまり共感されないかもですが、こういう関係疲れます。

 

もともとそんなに人のこと信頼できないし。表面上じゃないって思ってるのが、全部表でその裏があるかもしれない。いつでも離れられる距離にいる感じです。どこまでもひねくれてます。

 

そしてなんとか信頼できる人を見つけたら依存する。それはもう狭く深いどころの騒ぎじゃないほどの沼です。

 

じゃあ人とあまり関わらないから喧嘩も何も無いかというと違います。幾度となく人間関係をめちゃくちゃにしてきました。

 

心を開くってどうすればいいんですか。物理的に開くものが簡単で浅はかに見えるほど、心なんて開きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ないものねだり

夕食後ふらっと散歩に行きます。

 

もう夏がすぐそこまで来たみたいです。夜風が夏の匂いです。

 

Tシャツを着てサンダルを履いて、ぼーっと歩きます。夏の歌のプレイリストを聴きながら。

 

ふと冬が恋しくなりました。

あの体を芯から冷やすような寒さが。コートにマフラーして足早に帰るサラリーマンが。あったかい缶コーヒーを飲みたくなる季節が。心が凍えて温もりを求めてしまうあの感覚がたまらなく愛しく感じます。

 

待ち望んでたはずの夏が怖くなりました。

夏ってだけでキラキラできると思っていたのが嘘のようです。

 

 

 

いつもそう。

上手くいけば不安になって、友達といれば距離を置いて、1人になれば群れを求めて、まじめに生きれば遊んでる人たちが羨ましくて、考え過ぎればノーテンキな奴らに嫉妬して、ないものばっかねだって生きてる。

 

そうやって色んなことに挑戦して、運動も勉強も受験もバイトも遊びも恋愛もそれなりにはやってきたはずです。

 

でもありのままの自分を認めてあげられたことなんて一度もない。

 

そんなひねくれた自分を認めるのも怖いものです。

 

また冬になったら夏が恋しくなるのでしょうか。

明日の自分は誰になりたがっているのでしょうか。

 

7月

7月になりました。

2020年も半分終わりました。いろんなことが変わりすぎた半年でした。

 

夢と希望に満ち溢れてたお正月から6ヶ月経ちました。新年になると今年は良い一年になるんじゃないかと、当てもなくそう思えます。それでもだいたい変わらないような一年を毎年送ります。

 

今年もそんな年になるのかなって思ってました。

 

夏にはオリンピックがあって、日本中が活気に溢れてて、。それまでに就活が終わってたら毎日テレビにかじりついて、同年代の活躍を見てるんだろうなとか考えてました。

 

おもてなしに盛り上がっていたあの頃が嘘のようです。夢も希望も感動ももらえません。スーパーの袋すらお金を払わないともらえません。

 

コロナがこんなに続くとは思ってませんでした。すぐ終わる、GWすぎれば、6月いっぱいでなんて考えていましたが、甘かったようです。

終わりの見えない毎日が続いています。

 

梅雨の時期です。雨が降り続いたかと思えば今日はとても良い天気です。たまに良い天気でも急に雨が降ってきたりします。気まぐれです。情緒不安定です。まあ週に1日、2日くらい晴れるので俺のメンタルよりはましです。

梅雨はいつかあけます。一年を通して不安定な俺よりは分かりやすくて良いです。

 

今公園のベンチで黄昏ながら文字をうってます。隣のベンチでは男女が最近の夜のプレイついて話してます。女がノーテンキに舐められるのが嫌だったとか話してます。

 

見えないアクリル板が何十枚もあるのでしょうか。異常なディスタンスを感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来るもの拒まず去る者追いまくる

くだらないタイトルをつけたものだ。

 

来るものを拒まず、去る者追わずとはよく言われるものだけど、そんな自己肯定感高い人間に俺はなれない。

 

自分で自分の価値を認められるなら、賛同者を拒むことはせず、離れて行くものに興味も示さないのかな。

 

来るものは拒まない、そこは同じだ。でも意味は違う。NOと言えない、求められたらヤる、望まれた通りに行動する、そういうことだ。

自分の意志より相手の意志を気にしてる。だから拒まずというより、拒めず、そんな感じかもしれない。

 

そして去る者は追いまくる。たぶん相手を追ってるわけではない。自分から離れて行く何か、自分を求めていてくれた何か、を追いかけ回してる。追いかける対象は相手ではなく、自分に向いていた矢印だ。矢印を自分に向けるのではない、相手の矢印の先に自分を動かす都合の良さを身につけて生きて行くのだろう。

 

ひねくれまくって生きている。気づいたらこんな性格になっていた。自分でねじったわけではない。あらゆる要素が形成させた愚の完成体だ。

こんなんだから愛されるはずもないし、社会に必要とされるわけもない。でも自己肯定感を上げるためとか言って自分を認めたら、社会に不必要な生命体を黙認することになる。反対に治そうとするってことは認めないってことだ。今まで積み上げてきたものを破壊するということ。人格否定なんて宗教みたいな真似を自分に課す、もはや生きてる意味すらわからない。

 

クズを詰め込んだ護美箱として生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニーズとエモ

世の中は需要と供給で成り立っている。

そして時代とともに新たなニーズがどんどん生まれてそれとともに新たな仕事が生まれる。

 

サービス業であったりベンチャー企業というものが次々にうまれては淘汰され形を変えて生き残ったり、消えたりしていく。

 

それがビジネスだと思う。

 

それは音楽だってテレビだって映画だってお笑いだって同じことなのかもしれない。

 

作り手がいて受け手がいて、そこでお金が動いて成り立っている。売れるものを作る、そんな当たり前の考え方なのかもしれない。

 

しかしそこに疑問を感じる時がある。

 

 

 

 

最近"エモい"という言葉をよく耳にする。音楽や映画の感想でよく使われる言葉だ。おそらく英語のemotional、つまり感情的という意味からきていると思われる。

 

分かりそうでよく分からない言葉だ。

 

だいたいこの言葉が使われるのは失恋だったり、切ない、寂しいなど上手くいかないことや人間の弱い部分を表したものに多く使われている気がする。

 

病んでる、メンヘラなんて言葉が多く聞かれるように、今の時代どことなく生きてるだけで疲れることがたくさんある。そんな心の隙間に上手く漬け込んだ音楽たちがエモいと言われ流行る。

 

SNSなどで視聴者の声がすぐ届き、何を欲しているかすぐにわかるからこそ生み出す方もニーズにあったものが作れる。

 

エモいを求めエモいを生み出す、いわばビジネスだ。

 

そんなことを考えていたとき、ふと出会った曲がある。

PK shampooというバンドの神崎川という曲だ。

その中の歌詞にこんなフレーズがある。

 

泣くためにあるダサい映画借りて

泣いてる夜のくだらなさも

許し合おうよ、僕は許すから

何もかもを許すから

 

ハッとさせられた。言いたいことを言ってくれている。エモいという言葉では片付けたく無い曲だった。

 

エモいは現代おいて売れるために必要なスパイスなのかもしれない。しかし本来エモいという言葉だけを求めて制作しているアーティストはいないはずだ。

 

そこには何か作り手の深い思いがあって作られているはずだ。だからこそエモいの一言で片付けてしまうのは違うと思う。

 

相手が求めているものを与えて充足させるような音楽ビジネスになってしまうなら、そんなものは求めていない。

 

3markets[]のボーカルのカザマさんが言っていた言葉だが、

 

落ち込んでいる人に優しい言葉をかけるのは簡単だし気持ちがいいが、そんな共依存みたいな音楽は作りたく無い、と

 

作り手と受け手が同じ方向を向いて始めて作品になると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埼玉百景

又吉直樹さんの東京百景という本を買った。一ヶ月ほど前に「火花」を読みこの著者の本を読むのは2冊目だ。

 

読み始める前に私の中にある、東京のイメージと私の街についてをダラダラ書く。あくまで偏見であり、私のイメージだ。

 

私は生まれも育ちも埼玉、今年で22年になる。小中高大全て埼玉という生粋の埼玉っ子だ、、

 

とは言っても東京はにはすぐ出れる距離の場所だ。新宿には30分くらいで行けるし、渋谷や原宿にだって買い物に行く。

 

それでも東京はどこか別格だ。

 

夢や希望に満ち溢れてキラキラしている。

 

それと同時に寂しや、厳しさのある場所だと思う。

 

東京と曲名に入ってる曲はどれも名曲揃いだ。どこか切なさがあり、それでいてみんな東京に夢を見る歌詞が多い。

大好きな曲がいっぱいあるけど、それはまたの機会にする。

 

反対に埼玉の曲は翔んで埼玉の曲くらいしか思いつかないw

 

埼玉にもいいところはあるはずだ。地方の人から見たら都会と思うかもしれない。

 

が、いいところは?と聞かれても出てこない。有名な観光地があるわけでも特産品があるわけでもない。

 

基本的にはなんでも揃ってる住みやすい街。便利な都合のいいところ、それが埼玉だ。

 

基本スペックは高いと思う。でも一芸に秀でたものは特にない。どれだけ頑張っても東京には勝てない。一張羅を着て行くことはない。素を見せられる。1番にはれない。本命にはならない。

 

いつか東京の苦悩も知るのだろうか。

とりあえず本を読むのが楽しみという話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソーシャルディスタンス

緊急事態宣言が解除されました。街には人がかなり戻ってきました。ショッピングモールも再開し始めました。

 

また感染者が増えないことを祈りつつ、普段の生活に少しずつ戻っていくんだと思います。

 

この一、二ヶ月

ネットの発達した現代のすごさを感じました。

 

仕事も家でできるし、相手の顔を見ながら飲み会もできるし、就活だってオンライン上で面接ができます。

 

家から出られなくても距離は離れていても繋がれる時代です。

 

ライブハウスなどはまだまだ大変そうです。

キャパ減らしたり、2メートルあけたり、元の形でライブができるようになるには時間がかかりそうです。

 

それでも無観客ライブを配信したり、自宅から配信したり、いろいろな形で届けてくれます。

 

顔も見えなくてもすぐ繋がれます。遠く離れていてもいろいろ届けられるんです。

 

希望も感動も感謝も感想も批判も非難も誹謗も中傷も

 

 

距離が離れていても心は密にできる。

すぐ繋がれるからこそ取らなきゃいけない距離があると思う。

 

見えないものへの恐怖を感じる日々です。