ヘイト物語

生きていて感じることをゆる~く書きます。そんなこと考えなくていいのに...なんて言わずに見てほしいです。こんなひねくれたこと考えてる人もいるんです。

来るもの拒まず去る者追いまくる

くだらないタイトルをつけたものだ。

 

来るものを拒まず、去る者追わずとはよく言われるものだけど、そんな自己肯定感高い人間に俺はなれない。

 

自分で自分の価値を認められるなら、賛同者を拒むことはせず、離れて行くものに興味も示さないのかな。

 

来るものは拒まない、そこは同じだ。でも意味は違う。NOと言えない、求められたらヤる、望まれた通りに行動する、そういうことだ。

自分の意志より相手の意志を気にしてる。だから拒まずというより、拒めず、そんな感じかもしれない。

 

そして去る者は追いまくる。たぶん相手を追ってるわけではない。自分から離れて行く何か、自分を求めていてくれた何か、を追いかけ回してる。追いかける対象は相手ではなく、自分に向いていた矢印だ。矢印を自分に向けるのではない、相手の矢印の先に自分を動かす都合の良さを身につけて生きて行くのだろう。

 

ひねくれまくって生きている。気づいたらこんな性格になっていた。自分でねじったわけではない。あらゆる要素が形成させた愚の完成体だ。

こんなんだから愛されるはずもないし、社会に必要とされるわけもない。でも自己肯定感を上げるためとか言って自分を認めたら、社会に不必要な生命体を黙認することになる。反対に治そうとするってことは認めないってことだ。今まで積み上げてきたものを破壊するということ。人格否定なんて宗教みたいな真似を自分に課す、もはや生きてる意味すらわからない。

 

クズを詰め込んだ護美箱として生きている。